日生国の都は,引き続き伯台であったが,
神聖は渡海以来,海西にあって赤音を本拠としていた。
かつて,古代瑞穂帝国が衰退し,その圧迫から免れた古代日生国は,
南海から海西・海東へ進出し全盛期を迎える。
そのころの日生国の中心が海東では,久礼であり,海西では,赤音であったが,
いずれも天然の良港であった。
聖祖四十世総攬は,久礼に都し,赤音は副都として政庁をおく。
「世に希なる美しき城なり。」
と世人に讃えられた赤音は,そのまま「美城府(びじょうふ)」と称されることになる。
神聖は,安達政権時代の港を拡張,整備し,
港に近い中平原(なかひらはら)に,美城府を再建した。
赤音は以後,美城と称されることになる。
神聖は,
「いきなり,海東の元老院の制を,海西に敷けば混乱を招くだろう。
将来に元老院の制を海西に及ぼすことを目指して,まずは,海西の有力者の評定の場をつくる。」
として,百三十一世16年(1555),海西の諸侯・諸豪をそのまま議員とする議会を美城に開設した。
海西の諸侯・諸豪とは,もちろん安達家の旧臣であるが,彼らは,
日生国による安達政権の打倒の際,三通りに分かれた。
一つは,最後まで日生国と戦い滅亡した者。
二つは,日生国と戦ったが,最終的に海西から逃亡した者。
三つは,日生国に降伏し,日生国に属するようになった者。
この内,前ニ者,滅亡した諸侯や逃亡した諸侯の所領は,
基本的には政府直轄領となった。
百二十九世の時代以降,戦争は国軍が行い,諸侯・貴族が国軍に参加する場合,
国軍での官職に就任するようになる。
戦勝の際の褒賞は,官職の昇進と俸禄の増加に比重が移され,領地の加増は控えめになっていく。
しかし,領地の移転は,大々的に行われることが多々あった。
特に海西平定に活躍した諸侯は,海東の領地の一部と引き換えにして,
僅かばかりの加増と共に,海西にも領地を有することになった。
神聖家も美城に近い清泉(さやいずみ)など要衝を神聖家領としている。
この頃,綾朝は,8か月に渡る広京包囲の末,乾徳帝を降伏させた。
始元帝以来,16代294年,ついに広奈国は滅亡したのであった。
神聖は渡海以来,海西にあって赤音を本拠としていた。
かつて,古代瑞穂帝国が衰退し,その圧迫から免れた古代日生国は,
南海から海西・海東へ進出し全盛期を迎える。
そのころの日生国の中心が海東では,久礼であり,海西では,赤音であったが,
いずれも天然の良港であった。
聖祖四十世総攬は,久礼に都し,赤音は副都として政庁をおく。
「世に希なる美しき城なり。」
と世人に讃えられた赤音は,そのまま「美城府(びじょうふ)」と称されることになる。
神聖は,安達政権時代の港を拡張,整備し,
港に近い中平原(なかひらはら)に,美城府を再建した。
赤音は以後,美城と称されることになる。
神聖は,
「いきなり,海東の元老院の制を,海西に敷けば混乱を招くだろう。
将来に元老院の制を海西に及ぼすことを目指して,まずは,海西の有力者の評定の場をつくる。」
として,百三十一世16年(1555),海西の諸侯・諸豪をそのまま議員とする議会を美城に開設した。
海西の諸侯・諸豪とは,もちろん安達家の旧臣であるが,彼らは,
日生国による安達政権の打倒の際,三通りに分かれた。
一つは,最後まで日生国と戦い滅亡した者。
二つは,日生国と戦ったが,最終的に海西から逃亡した者。
三つは,日生国に降伏し,日生国に属するようになった者。
この内,前ニ者,滅亡した諸侯や逃亡した諸侯の所領は,
基本的には政府直轄領となった。
百二十九世の時代以降,戦争は国軍が行い,諸侯・貴族が国軍に参加する場合,
国軍での官職に就任するようになる。
戦勝の際の褒賞は,官職の昇進と俸禄の増加に比重が移され,領地の加増は控えめになっていく。
しかし,領地の移転は,大々的に行われることが多々あった。
特に海西平定に活躍した諸侯は,海東の領地の一部と引き換えにして,
僅かばかりの加増と共に,海西にも領地を有することになった。
神聖家も美城に近い清泉(さやいずみ)など要衝を神聖家領としている。
この頃,綾朝は,8か月に渡る広京包囲の末,乾徳帝を降伏させた。
始元帝以来,16代294年,ついに広奈国は滅亡したのであった。