百三十一世18年(1557),美城神聖は,背州の一条・各務連合軍を牽制するため,
舟形諸島への出陣を準備し始めたが,七河清良は,
「天文を見るに,我が国内に重大な反逆の動きがあります。」
と神聖に警告した。
舟形諸島への出陣を準備し始めたが,七河清良は,
「天文を見るに,我が国内に重大な反逆の動きがあります。」
と神聖に警告した。
程なく,火撫党から,
「浅宮政臣に不穏な動きあり。」
との報告があり,
ついで,深町広平より,
「浅宮政臣が,反乱を準備している。」
との通報が入った。
当時,総攬である美城神聖が美城に常在するようになったため,
臨時的に元老院も美城に移っていた。
当然,元老院議員である浅宮政臣も美城にいた。
神聖が,綾朝救援のために美城を空けようとしているのを見て取った
浅宮政臣は,神聖が留守の間に蜂起し,神聖を追い落とそうと考えていたのである。
さて,政臣の不穏な動きを美城神聖に通報した深町広平は,
当時,浅宮政臣の側近の一人であったが,また美城神聖の外伯父でもあった。
広平は,政臣の信を得ており,
政臣から反乱計画を打ち明けられると,悩みぬいた末に
「浅宮家が反乱を起こせば,我が国は大乱になる。」
と,神聖に政臣の反乱計画を通報することにしたのであった。
美城神聖は,舟形諸島への出陣を装いながら,電撃的に浅宮邸に兵を差し向け
浅宮政臣の身柄を押さえることに成功した。
浅宮政臣は,南海に配流となった。
政臣と高臣の対立以来,分裂していた浅宮家は,高臣の子 尚臣のもとに統一された。
開明派諸侯の一人,中街行景は,
「これで,憂いは除かれ,政権は盤石となりました。」
と言ったが,神聖は,
「これよりは,奢りが憂いとなる。」
と述べた。
