美城還御

広奈国の残党は,一条智高を盟主に清正帝の兄 詮景を皇帝として奉じて,
綾朝への抵抗を継続していた。

広奈国残党と盟約を交わしたのが各務国の藍原将真であり,
一条・藍原連合軍は,一時,背州まで進出して綾朝を苦しめる。

美城神聖は,浅宮政臣の反乱を阻止した後,すぐに舟形諸島へ入って,
綾朝水軍を援護し,一条・藍原連合の水軍が東進するのを阻止した。

ところが,一条智高が薨去すると,広奈国残党の統合が崩壊する。

智高の子 智初(ともかず)が,広京近郊の要衝 松下で綾朝軍に大敗を喫し,
一条家の求心力が著しく低下したのが原因であった。

智初は,綾朝側から旧広奈国諸侯である上原氏や京極氏が内応してきたのを信じて,
その誘いに乗って出陣したのであるが,両氏の内応が実は偽りだったのである。

松下で惨敗した智初が求心力を失うと,広奈国残党からは,綾朝の調略に応じて,
綾朝へ降伏する諸侯が相次ぐようになった。

湾陽へ綾朝軍が侵攻すると,
各務国の藍原将真は,広奈国残党の滅亡は不可避であると考え,
広奈国残党との盟約を破って,一条領へ侵入した。

綾朝と藍原将真の挾撃を受けた広奈国残党はあっけなく滅亡した。

湾陽西部は各務国が,湾陽東部は綾朝がそれぞれ占領する。

戦後,日生国は綾朝と,舟形諸島と安宿諸島を交換した。

日生国としては,安宿諸島は大陸との通交を深める上で価値があり,
綾朝としては,舟形諸島は首州と亜州を結ぶ要衝として価値があった。

双方の利害が一致した上での所領交換である。

舟形諸島を領国としていた藤真氏は,海西へ移った。

綾朝との約定を締結した後,神聖は,美城府へ戻る。

明けて百三十一世19年(1558),正月,美城神聖
は,翔子を后に迎えた。

その翔子をかつて救った人物,有間渉遊――

神聖の気にかかっている存在であった。

安達政権の屋台骨を支えながら,正治に疎まれ,
ついには,その政策に真っ向から反対して逐電してしまった渉遊は,
その後も,消息不明のままであった。

神聖は,

「是非とも有間渉遊殿を我が国に迎え入れたい。」

と,火撫党に渉遊捜索のために人員を割くように命じる。

火撫党もこの頃,代替わりしており,
当主は,厚からその息子 周(あまね)になっていた。

十数年間,完全に野に潜んでいた有間渉遊の居所を周は,なんとか突き止める。