渉遊との会談

渉遊は,逐電してから各地を転々としていたが,
安達政権崩壊後は,葵野(あおいの)という所で隠遁生活を送っていたという。

葵野は,美城島(赤音島)にある。
目と鼻の先と言える。

美城神聖は,自ら,渉遊の元を訪れると,

「あなたに妻の命を救っていただきました。

どれほど感謝しても足りません。」

と深々と頭を下げた。

安達正治はかつて,藤真家に謀反の疑いを持ち,当主を処刑し,
藤真家からの人質であった翔子をも処刑しようとした。

渉遊はそれを逃したが,後に翔子は,美城神聖の妻となったのである。


渉遊は,

「あの時は,主家の没落を止めようとしただけです。

奸臣の讒言を容易く信じ,謀反の実の無い者を,刑戮し,その一族を絶滅させようとする,
暴虐を放っておいては,安達の家は諸国の信を失うと思いました。

しかし,私には力がなく,暴挙を完全には止められなかった。

安達の家は,私の予測通り没落の道を進むことになりました。」

と述べた。

神聖は,

「あなたに力が無かったのではなく,
水奈府の相国(正治)があなたを用いることができなかっただけです。

あなたの徳と才知は,海内に並ぶ者がないほどでありましょう。

あなたを用いていれば,安達家は今頃,海内に平安をもたらしていたはずです。

ところが,あなたは野に下り,海内に平安は,訪れないままになってしまいました。

世の泰平のため,あなたの徳と知恵が必要です。お力を貸してはくださいませんか。」

と日生国への出仕を促した。

ところが,渉遊は,

「私は,主君を君側の奸からお守りすることができず,
主家に道を謬らせた亡国の臣です。

また,齢五十をとうに超えました。

もはや,世にでるつもりはありません。」

と述べて出仕を固辞する。

神聖は,渉遊の意志が固いと見て,渉遊の招聘を断念した。

渉遊自身が日生国で官途に就くことはなかったが,
その子 怜久(としひさ)は,日生国で官途に就き,賢臣として名を馳せた。

また渉遊の招聘は成らなかったが,美城神聖が積極的に人材を求めていることは,
諸国に知れるようになり,旧一条家臣であった沢渡玲(さわたり・あきら)や
瑞城亮(みずき・たすく)らの名将らが,日生国に仕官を求めて来訪した。

沢渡・瑞城両将は,その後,日生国で参議となっている。