南洋

百三十一世24年(1563),南洋で事件が起こる。

ペルトナがマナ王国の継承騒動に介入したのである。

マナ王国には,日生国も商館を開設しており,日生人も居住していた。

ペルトナは,支援するケオラ王子を王位につけ,対立するカレア王子やその一党を追放する。

さらにペルトナは,カレア派として,日生国商館や日生人を襲撃した。

美城神聖は,

「ペルトナの凶行から,友邦と日生人(ひなせびと)を守る。」

として,南洋への艦隊派遣を考えたが,賛否が分かれた。

「ペルトナは強国であり,南洋へ艦隊を派遣したとして,必ずしもペルトナに勝てるという保証はなく,
また,勝っても,強力な報復を受けることになるでしょう。」

と,千楽元季や天羽理子(あもう・みちこ),中街行景らは,反対した。

一方で,後藤信暁や原政人,八坂結子らは,

「ペルトナは,多方面で列強と競合しており,また,本国は西の彼方にあります。

南洋での行動は,制限を受けたものにしかなりえません。

我が国は,百年に渡る戦力増強によって,外洋に適した水軍を養うことに成功しました。

今や,南洋は近く,多くの戦力,物資を南洋に投入することが可能です。

南洋を失えば,我が国は,常盤の片隅に逼塞するしかありません。」

と,南洋への艦隊派遣に賛成した。

神聖は,各方面から世界情勢について様々な情報を得ており,検討と分析を行っていたが,
賛成派の意見は,その分析に合致していた。

神聖は,高須陽視に最新鋭の艦隊を与えて南洋へ派遣する。

日生軍は,カレア王子の軍と合流して,マナのペルトナ軍に反攻を開始した。

高須陽視は,ペルトナ艦隊を大破してマナに入ると,カレア王子を即位させ,
商館を復興し,現地の情勢安定に尽力した。

ペルトナ側では,日生国への報復を訴える勢力もあった。

しかし,ペルトナは,当時,新興国リーフランドと南洋で海上覇権を争っていたが,
次第に劣勢になり始めていた。

新たに日生国への報復のために戦力を投入することは現実的ではなかった。

ペルトナからの報復はなかった。

ペルトナの勢力は,以後,マナ海方面から駆逐されていくようになり,
南洋での列強の覇権争いから一足先に脱落することになる。