己巳・庚午の役終結

大成帝は,まず建安帝討伐のため,10万の軍を建安帝の本拠 花岡へ向けて進発させ,
建安軍は,大成軍を井口の地で迎撃した。

しかし,大成帝の陣営は,大成帝暗殺未遂の一件が尾を引き、まとまりを欠いていた。

井口は要衝でもあり,防備が固かった。

しかも井口攻略に関し,作戦をめぐって対立を生じた大成軍は、
有効な打撃を建安軍に与えることができない。

日生軍は,須藤から7万の軍を進発させ,大成方の勢力圏へ侵攻した。

その勢いは大成帝の予想よりも強く,大成方の前線は、次第に後退してゆく。

軍事的に小さな建安帝よりも,日生軍への対処が最大の懸案となった大成帝は,
井口から軍を引かせその戦力を日生国へ向けた。

建安軍は,桐城まで占領して勢力を拡大,さらに広京へ向けて進軍を続けた。

とはいえ,兵数でまさる大成軍は,要衝 松下を固守して建安軍の進撃を止めた。

日生軍も河口の地で,進撃を止められた。

日生軍は,持久戦の構えを採る。

松下から押し戻された建安方は,桐城まで撤退する。

危機に陥ったかに見えた建安帝であるが,早智季の尽力が実り,
新名氏が大成軍から建安軍へと鞍替えしたことで情勢が変化した。

大成方は,東西からの攻撃に加えて,南からの新名氏の圧力にも対処を余儀なくされる。

他方,建安方は,南からの新名氏の圧力がなくなり,戦力の集中が可能になった。

建安軍は再度,松下へ進撃,大成軍を撃破する。

日生軍も,広奈水道を制圧しつつあり,大成軍の主力は,首北に孤立し始めていた。

日生軍は完全に河口を包囲し,大成軍による救援軍を寄せ付けない。

ついに,河口は開城を選択した。

松下を突破した建安軍は,広奈水道の東半を制し,広京を包囲した。

孤立した広京は,援軍も望めなかった。

三か月の包囲の後,大成帝は自害,建安軍は広京を陥落させて,綾朝を再統一した。

戦後,日生国と綾朝は、国境を画定して互いの不可侵を誓約する。

日生国は,須藤以東の首北は、綾朝へ返還したが、替わりに海陽地方の西半を獲得した。

美城神聖は,しかし,

「いつの世にも不測の事態は、生じるもの。万事に備えが肝要である。」

と,綾朝への警戒を緩めなかった。

ともあれ,二年に渡る 己巳・庚午の役は,終結した。