リュイト人来航

ひとまず、綾朝との不可侵を約して後背の安全を確保したことにより、
日生国の目は海外へ向いた。

百三十一世32年(1571)、美城神聖は、草野司(くさの・つかさ)を南洋へ遣わした。

草野司は、南洋諸国に到って、商館の開設に成功し、さらに百三十一世33年(1572)には、
南洋の大国ソロ王国へ到り、大王より許可されてここでも商館を開設した。

百三十一世34年(1573)、無事、美城に帰還した司は、神聖より

「我が国の将来を開く大功である。」

と賞され参議へ進んだ。

美城神聖は、

「西洋では数か国の強大な国が並び立って争っている。

だがこれらの国々は、宗教・肌の色を同じくしていること、
共通した歴史・文化を持っていることによって、
互いに親近感も持っている。

いざという時には協力するであろう。

その時、東洋の諸国が協力できなければ、各個撃破されるのみである。

東洋にも強大な数か国が生まれ、互いに親交を深め、
いざという時に協力できるようにしておかなくてはならない。」

と考えていたが、草野司による成功は、正にその礎となるものであった。

ところで南洋との通商は、新たな局面をもたらす。

司の到達したソロ王国は、かつて日生国がペルトナから救ったマナ王国のさらに東南に存在する。

日東洋に東西に長く伸びる勢力圏を持っており、日東洋各所の島嶼国家とつながりがあった。

そのさらに東には、リュイト大陸がある。

リュイト大陸では、かつて4千万の人口を抱え、大陸の西半分を有した超大国リュイト帝国が、
西洋列強の侵攻をうけて分裂し、山岳と大河に頼って細々と命脈を保つ状況へと追い込まれていた。

今や、リュイト文明の滅亡は時間の問題である。

追い詰められたリュイト人の中には、日東洋の島々へ亡命するものもあった。

亡命リュイト人にある噂が立ち始める。

「海の西に、白人を打ち破った英雄が有り、世界を再び平穏にする。」

というものである。

実は、この噂は事実に基いて沸き起こったものであった。

百三十一世24年(1563)、ペルトナの侵攻を受けたマナ王国を日生国が救い、
ペルトナの勢力をマナ諸島から追い払ったという事実である。

そんな「西の英雄」の伝説が流れる大洋へ、
日生国の交易船が頻繁に来航するようになったのである。

日生人は、白人達と同じような武器や船を持っており、亡命リュイト人達の期待を集め始めた。

百三十一世35年(1574)、リュイト人 クルト・ノエリーセ・エリュイーセは、
日生国に興味を持ってついに、日生国の商船に乗って美城にまで到った。

エリュイーセは、皇族から分かれでた名門の出身であり、リュイト復興へ並々ならぬ執念を燃やしていた。

神聖は、エリュイーセの話を聞いて、リュイトに大いに興味を持ち、
草野司を北リュイトに派遣することにした。