南洋から列強の勢力が去った頃,
日生国には世代交代の波が押し寄せ始めていた。
百三十一世48年(1587)には,安宿総督を務めていた御月高任が薨去,
翌々年(1589)には,原政人も薨去した。
神聖は,長岡聖君を御月高任の後任に,
姫村七緒(きむら・ななお)を原政人の後任とした。
原政人の薨去から数か月,
神聖自らも病を得,ついには意識が混濁するなど,極めて危険な状態となる。
にわかに,日生国全体が緊迫した。
日生国は今や全盛期を迎えていたが,
それは他でもなく美城神聖が現出したものである。
その神聖に万一のことが起これば,再び日生国に危難が訪れかねない。
「綾朝はどう出るであろうか……」
諸侯・諸将は,脳裏に浮かぶ「万一」を必死に打ち消しながら,
神聖の回復を祈る。
結論から言えば,幸いなことにその祈りは通じた。
神聖は,明確な意識を取り戻し,
徐々にではあったが,健康を取り戻した。
この頃,齢九十を越えてなお健在であった後藤信暁は,
「この世に暇乞いをするならば私の方が先でなくてはなりますまい。
よくぞお戻りくだされました。」
と神聖の回復を喜んだ。
日生国全体も祝賀の熱気に包まれた。
しかし,その熱気も覚めやらぬ中,神聖は,
「総攬に就いて五十年を越え,私も今や,齢六十七を迎えた。
次代の体制を今から作っておかなくてはならない。
私が健康な内に,次の代に国を引き継いでおきたい。」
として,神聖譲位と総攬引退の意思を示した。
周囲には引き止める声が非常に多かったが,神聖の決意は堅かった。
百三十一世51年(1590),神聖は,聖太子である敬慈(たかちか)聖君に神聖位を譲った。
新神聖は,清泉神聖(さやいずみのしんせい)と称される。
また,美城神聖は,総攬からも引退し,
元老院は,清泉神聖を百三十二世総攬に選出した。
神聖は譲位により,上聖と称されるようになる。
美城神聖から清泉神聖への緩やかな世代交代が,
その後の日生国と綾朝の関係を決定づける一因となった。
日生国には世代交代の波が押し寄せ始めていた。
百三十一世48年(1587)には,安宿総督を務めていた御月高任が薨去,
翌々年(1589)には,原政人も薨去した。
神聖は,長岡聖君を御月高任の後任に,
姫村七緒(きむら・ななお)を原政人の後任とした。
原政人の薨去から数か月,
神聖自らも病を得,ついには意識が混濁するなど,極めて危険な状態となる。
にわかに,日生国全体が緊迫した。
日生国は今や全盛期を迎えていたが,
それは他でもなく美城神聖が現出したものである。
その神聖に万一のことが起これば,再び日生国に危難が訪れかねない。
「綾朝はどう出るであろうか……」
諸侯・諸将は,脳裏に浮かぶ「万一」を必死に打ち消しながら,
神聖の回復を祈る。
結論から言えば,幸いなことにその祈りは通じた。
神聖は,明確な意識を取り戻し,
徐々にではあったが,健康を取り戻した。
この頃,齢九十を越えてなお健在であった後藤信暁は,
「この世に暇乞いをするならば私の方が先でなくてはなりますまい。
よくぞお戻りくだされました。」
と神聖の回復を喜んだ。
日生国全体も祝賀の熱気に包まれた。
しかし,その熱気も覚めやらぬ中,神聖は,
「総攬に就いて五十年を越え,私も今や,齢六十七を迎えた。
次代の体制を今から作っておかなくてはならない。
私が健康な内に,次の代に国を引き継いでおきたい。」
として,神聖譲位と総攬引退の意思を示した。
周囲には引き止める声が非常に多かったが,神聖の決意は堅かった。
百三十一世51年(1590),神聖は,聖太子である敬慈(たかちか)聖君に神聖位を譲った。
新神聖は,清泉神聖(さやいずみのしんせい)と称される。
また,美城神聖は,総攬からも引退し,
元老院は,清泉神聖を百三十二世総攬に選出した。
神聖は譲位により,上聖と称されるようになる。
美城神聖から清泉神聖への緩やかな世代交代が,
その後の日生国と綾朝の関係を決定づける一因となった。
