傘寿

混乱のない,代替わり――

清泉神聖は,美城上聖の後見を受けながらとはいえ,
見事に政権を引き継いだ。

新神聖は,よく周囲に耳を傾けるひとであり,
美城神聖時代からの賢人・賢将をよく用いた。

また,一時は美城神聖の太子であった義兄 長岡聖君との関係も良好であり,
綾朝が代替わりの際に二度も大乱を起こしたのとは対照的であった。

綾朝の目論見は完全にあてが外れたと言える。

そして――

美城上聖が傘寿を迎えた年,
日生国の百三十二世14年・綾朝の建安36年(1603),
綾朝を大災害が襲った。

建安の畿内大地震である。

かつて,広奈国順正帝のころに大地震が畿内を襲ったが,
それを上回る未曾有の被害が出たという。

順正の大地震の前は,前各務国の時代,福延9年(1227)にも
畿内で大地震が起こっているが,
ほぼ200年周期で畿内は大地震に見舞われていることがわかる。

甚大な被害は,畿内のみならず,湾陰・湾陽,首内にも及んだ。

また,綾朝では,地震で左大臣 天堂成彦が重傷を負ったにも関わらず,
復興のために激務にあたって体調を悪化させ薨去してしまった。

日生国も被害と無縁ではなかった。

安宿諸島には津波が押し寄せ,多くの人家が流出し,
死傷者も相当の数に上ったという。

とはいえ,日生国本土は,綾朝に比べれば被害は軽かった。

上聖も清泉神聖も,

「直ちに綾朝へ救援を送るべきである。」

として,多くの人員を派遣し,物資を送った。

綾朝では,「上下歓呼して」日生国からの支援を迎えたと言われている。