世界概要

坤輿(こんよ)の地表面積の比率は,ほぼ海洋7:陸地3である。

大陸は,視点の違いによって,さまざまに区分される。

7大陸区分

レイア大陸
アリア大陸
テルメ大陸
リュイセ大陸
スピネラ大陸
ノトス大陸
南極大陸

6大陸区分

レアリア大陸(レイアとアリア)
テルメ大陸
リュイセ大陸
スピネラ大陸
ノトス大陸
南極大陸

5大陸区分

テルメ・レアリア大陸(レイア・アリア・テルメ)
リュイセ大陸
スピネラ大陸
ノトス大陸
南極大陸

大洲による区分

世界は,大洲という形でも区分される。

レイア洲
アリア洲
テルメ洲
リュイセ洲
スピネラ洲
オセアニア洲


レイア概要

レイアは,レアリア大陸タム山脈以西の地域。
六大洲の一つに数えられる。

華大陸や常盤では,レイアを「叡亜」とも書くことから,
叡洲(えいしゅう)と略されることが多い。

レイアは,地中海の北側にあり,対岸はテルメ大陸である。

レイアは,タム山脈を隔ててアリアと陸続きであり,
南の地中海・西の大西洋,北西の北海,北の北極海に囲まれている。


レイアの諸地域

以下,いずれも通暦16世紀中葉の状況を示す。

地域名国名・領地名
統治勢力
推計人口
東アキシア
イリハム朝
イリハム家
  720万人
西アキシア
アキシア王国
ニイマルク・
リンドグレン家
  120万人
イストライストラ王国イストラ・
リンドグレン家
1050万人
ヴァナディース神聖イリオン帝国
諸邦分立1000万人
ヴィグランド
ヴィグランド王国スコウスボー家
  140万人
エクシャ
諸邦分立  950万人
ガトキア
ガトキア・ミルジニア同君連合
ジュルドウォフスキ家
1800万人
サンセサンセ王国ダンドロ家1250万人
ニイマルク神聖イリオン皇帝家領ニイマルク・
リンドグレン家
1200万人
フェルヘイム
フェルヘイム王国
ヘリゲバルク家
  110万人
ペルトナペルトナ王国シスネロス家  240万人
マトリア
マトリア帝国
ヴァロフ家
1000万人
リーフランドイストラ王国領イストラ・
リンドグレン家
  220万人
レーヴェスマルクレーヴェスマルク王国コルネリウス家  550万人



レイア世界以前

古代には,地中海をとりまく
南レイア・西レイア・北テルメ・西アルリアは,
地中海世界を形成しており,
南レイアのエクシャに興ったイリオン帝国が,
その最後の統一勢力となった。

イリオン帝国は,元来,多神教であったが,後、一神教を国教とする。

その後,イリオン帝国は,分割統治が固定化し,東西に分裂する。

西イリオン領内には,フィラキア人諸族により複数の王国が建てられた。

そして西イリオン帝国は,フィラキア人の勢力により滅ぼされる。

他方,東イリオンは,繁栄と衰退を繰り返しつつ,
さらに命脈を保ちつづけた。

東イリオン本体は,14世紀末にイリハム朝に滅ぼされたが,
東イリオンの残存勢力は,西レイアのエクシャ沖の小島 キルカ島に残った。

キルカに残った帝国は,現存しており,
「イリオン帝国」を正式な国号としている。


レイア世界の形成

さて,西イリオン滅亡後,
西レイアでは,フィラキア人の諸王国の内,
シンケル王国が強大化し,旧西イリオンの版図をほぼ制圧,

その王 アレクシス1世は,イリオン教皇より戴冠をうけ,
アレクシス大帝と称される。

アレクシスの帝国そのものは,
アレクシスが崩じて以後,分割相続され,
西シンケル・南シンケル・東シンケルの三王国となる。

西シンケルは,のちのサンセに当たり,
東シンケルは,ヴァナディースの,
ひいては神聖イリオン帝国の基になった。

南シンケルは,エクシャの基になる。

やがて,東シンケルには,
オーロフ1世が現れて,ヴァナディース・エクシャに勢力を広げ,
イリオン教皇の戴冠を受けて,イリオン皇帝となった。

オーロフによる帝国は,当時,単にイリオン帝国と呼ばれたが,
後に神聖イリオン帝国と呼ばれるようになる。

しかし,皇帝権は次第に不安定になり,神聖イリオン帝国は,
領邦の連合体として推移することとなっていく。

また,「イリオン皇帝」としての体面上から歴代皇帝は,
イリオンのあるエクシャの支配を狙ったが,失敗に終わり,
エクシャは帝国から離れていく。

こうして中世西レイアでは,
二つの中心を持つ楕円形の社会が展開していく。

一方,東レイアには,東イリオン帝国が存在していたのであり,
皇帝と総主教が補完的関係を築く東方世界があった。

やがて西イリオンの西方教会と,
東イリオンの東方教会は,分裂した。

西方教会の勢力は,西レイアに深く根を張り,
東方教会は主に,
東レイアの諸民族の間に布教していった。


諸国 ペルトナ

ペルトナは,レイア大陸最西端にある。

東はイストラと隣接しており,西は大西洋に面している。

南は地中海であり,対岸はテルメ大陸である。

レイア諸国による大航海時代の火蓋を切ったのが,
このペルトナである。

当時,レアリア大陸の古くからの東西交易ルートは,
イリハム朝に握られていた。

イリハム朝は,
レイアとアリアにまたがる超大国に成長すると,
東西交易を独占し,高い関税をかけるようになる。

その結果,レイア諸国は,
従来の交易ルートによらない新しい航路を求めて
外洋へと進出していくのであった。

折しもレイアには,宗教改革の嵐が吹き荒れていた。

イリオン教皇は,新教勢力に対抗するため
旧教国のペルトナ・イストラを後援して,
海外への旧教拡大を目指すようになっていた。

ちょうどペルトナは,イストラとともに,14世紀前半には,
パルミラ人勢力をテルメ大陸まで逐い,
レコンキスタを完成させたところである。

このレコンキスタの途上で,ペルトナもイストラも,
民族主義的な色合いを強め,
他のレイア諸国に先駆けて中央集権化を果たしていた。

こうした状況から,海外進出の機運は,高まった。

ペルトナは,テルメ大陸沿岸部・島嶼部の攻略を開始し,
大航海時代が幕を開ける。

1438年,アベル・サイノス率いる艦隊が,
東回りでサラスへの到達を果たすと,
さらにペルトナの勢力は東洋へと拡大していく。

ペルトナは,1495年には,
華国大陸の南端テンピコ島を拠点とした。

1460年代には,ペルトナ人が常盤群島各地に来航し,
火縄銃をもたらしている。

また,ペルトナは,イリオン教皇の仲介により
イストラとの間でアルメ条約を締結して,
世界における両国の勢力圏を画定した。

ちょうど,1430年代には,
イストラがリュイト・スピネラ両大陸にあいついで到達し,
自国の勢力圏としていた。

しかし,その後,ペルトナの探検家 リベルト・オリオールは,
リュイト大陸の東端・スピネラ大陸東部が,
アルメ条約で定めたペルトナの勢力圏に含まれていることを突き止めた。

これにより,リュイト大陸東端・スピネラ大陸東部には,
ペルトナ人がその勢力を扶植していくこととなった。


諸国 イストラ

イストラは,レイア大陸の西端にあり,西はペルトナ,
北はサンセと隣接している。

地中海を挟んで南の対岸はテルメ大陸である。

15世紀に,神聖イリオン皇帝家 リンドグレン家が政略結婚の結果,
イストラの王位を手に入れた。

この後,イストラは勢力を拡大するペルトナに対抗し,
西回りでのサラス・華国到達を目指した。

イストラ国王 アレッサンドロ2世の援助を受けた
アメデオ・アウグストは,1432年,
リュイセ大陸の東方に浮かぶグラツィア島に到達する。

その後,アウグストは数度に渡り遠征し,
リュイト大陸を探索,また,他の航海者たちの情報を分析するに及び,
そこが自分達のまだ見ぬ大陸であることに気づく。

こうしてアウグストの到達したリュイト大陸南東部は,
彼にちなみアウグスタと命名された。

また,アウグストの後,
フォルトゥナート・スピネッリは,
1441年,リュイセ大陸の南にも
自分達のまだ見ぬ大陸があることを見出す。

こちらは,スピネッリにちなみ,スピネラ大陸と呼ばれる。

熾烈な勢力争いをくりひろげたイストラとペルトナの両国は,
リーフランドやレーヴェスマルクなど諸国が海外進出に乗り出すと,
これら諸国に漁夫の利をさらわれることを恐れて協調をはかりはじめた。

1434年,両国は,教皇の仲介によりアルメ条約を締結,
勢力圏の画定を行った。

その後,イストラ王国は,
リュイト・スピネラ両大陸で産出される豊富な金銀を狙い,
リュイトのリュイト帝国,スピネラのトナテコ帝国を侵略した。

リュイト人は,山岳部や北部の大河パミュセ川北岸に拠って抵抗を続けたが,
トナテコ帝国は,1473年に,イストラ人に滅ぼされてしまった。

さらに,イストラは,西回り航路の開拓を進める。

アレッサンドロ2世の後継者 テオドロ1世
(神聖イリオン皇帝としてはテオドル3世)は,1459年,
マヌエーレ・フォルテに香辛料の産地として伝えられる
カタラ諸島への遠征を命じた。

フォルテ艦隊は,大西洋を南下,
スピネラ大陸とリュイセ大陸の間を通過して,カタラ諸島に到達する。

フチ王国の歓待を受け,莫大な物資を得たフォルテ艦隊は,
カタラ諸島を出航するとその後,
南洋を西へ進んで1年をかけて1461年にイストラ本国に帰還,
世界周航を果たしたのだった。

このころ,イストラのライバルであるペルトナの勢力は,
常盤群島に達していたが,そこは,アルメ条約に定められた
イストラとペルトナの勢力界でもあった。

結果として,常盤群島には,ペルトナのみならず,
イストラの船も頻繁に来航するようになっていった。


諸国 リーフランド

リーフランドは,
北海に注ぐフリュー川河口に存在する。

フリュー川は,レイア大陸西部を横断する大河である。

国土を横切るフリュー川の流れと,
その河口デルタは,葉脈の様にも見え,
そこからこの地をリーフ(葉)ランドと
呼ぶようになったとも言う。

東のヴァナディースと南のサンセに挟まれ,
対岸にレーヴェ島を望む地の利から
古来,海上交易が盛んな地域であった。

15世紀初頭,
神聖イリオン帝国の皇帝家 リンドグレン家は,政略結婚によって
リーフランドの支配権を得た。

皇帝テオドル3世は,
長男アレッサンドロ(アレクサンデル,アレッサンドロ3世)には,
イストラとリーフランドを譲り渡し,

次男ミカル(ミカル1世)には,リンドグレン家代々の所領 ニイマルクと
皇帝位を始めとする神聖イリオン帝国に関する自身のすべての地位を譲った。

ここに,リーフランドは,イストラ領リーフランドとなった。

しかし,リーフランドは新教徒が多数を占める地域であったため,
旧教を強制するアレッサンドロ3世に対して独立戦争を仕掛けた。

リーフランドは16世紀の中葉には,実質的にイストラから独立していたが,
1588年のノールエルヴァン条約で正式にその独立を承認された。

ノールエルヴァン条約とは,
最初の国際戦争と言われるヴァナディース戦争の終戦条約である。

16世紀の中葉以降,リーフランドは,
東南アリア島嶼部におけるペルトナ勢力圏を侵奪,
香料貿易を独占し始め,海洋帝国を築いていく。


諸国 レーヴェスマルク

レーヴェスマルクは,
レイア北西のレーヴェ島(獅子島)の島国であり,
フリグラント,ヴァルヒェン,バルトラントの
三つの国から構成されている連合王国である。

島の地形が獅子に似ていることから,
レーヴェ(獅子)島と名付けられたという。

11世紀の初頭にレーヴェ島対岸のサンセ北部から
侵入してきたラナマン人がフリグラントを征服,
ラナマン朝フリグラント王国が成立した。

国力にも優れていたフリグラントは,
レーヴェ島内で勢力を拡大,バルトラントを圧迫し,
ヴァルヒェンを併合するに至る。

その後,ミステルツヴァイク朝時代の
中世末には,サンセ継承戦争により,
フリグラント王国は,大陸の版図を喪失,
レーヴェ島の島国となった。

このことは,フリグの人々に
民族意識を芽生えさせきっかけとなる。

16世紀中葉には,フリグラントとバルトラントは,
同君連合を形成し,レーヴェスマルク連合王国となる。

レーヴェスマルクとは,
「レーヴェ島の境域」という程の意味である。

レーヴェスマルクでは,イストラ・ペルトナ両国に遅れて
16世紀初頭に絶対王政への移行が始まる。

ここに至り,強力な権力の後押しを受け,
レーヴェスマルクでも海外への進出が盛んとなっていく。

先行するイストラ・ペルトナが
低緯度から中緯度地方に勢力圏を持っていたため,
レイアの後発諸国は,中緯度から高緯度地方へ進出し始めた。

やがて,低緯度地方でも
独自の航路を開拓し始めたレーヴェスマルクは,
アリア貿易市場における影響力を増大させていく。

常盤にも16世紀初頭に来航するが,
この頃はフリグラントとバルトラントが
同君連合を形成する以前であったため,
常盤の人々は彼らをフリグラントの人を意味する
「フリギス人」という名称で呼んでいた。

いまなお,常盤の大半では,慣用的にレーヴェスマルクを指して
「フリギス」と呼称するが,
ただ同国と親交を深めた日生国のみが,
レーヴェスマルクという呼称を定着させている。

レーヴェスマルクはまた,
レイア大陸で吹き荒れた宗教改革の波に乗る。

クラウス1世の代に,
国王を頂点とする国教会を設立したのである。

以後,レーヴェスマルクは,
イリオン教皇を頂点とするイリオン教会および
その支持者である旧教勢力と対立するようになった。

特に,クラウス1世の娘 クリスティーネ2世の代には,
交易圏をめぐる勢力争いとも相まって,
レーヴェスマルクは,
旧教国の盟主とも言えるイストラと衝突することになった。


諸国 ヴァナディース

ヴァナディースはレイア大陸の中央部に存在する。
東はガトキア,西はリーフランドとサンセ,
南はエクシャと隣接している。

北では,フェル半島と隣接している以外の地域は,
海に面している。

北東の海は母海,北西の海は北海である。

ヴァナディース(東シンケル)のオーロフの戴冠は,
神聖イリオン帝国の始まりとされる。

オーロフは,
部族勢力の連合体といった状態であったヴァナディースを
中央集権的に統一しようとした。

そのため,教会勢力を利用した皇帝権の強化が図られる。

教会領や修道院領を王領として,不輸不入権など諸権利を与え,
聖職者を官僚・諸侯に任命して諸部族に対抗させたのである。

いわゆる帝国教会政策である。

折しも教皇 セルギオス2世は,教皇領の拡大を図っていたが,
エクシャの他の諸侯の牽制に遭遇していた。

セルギオス2世は,結局オーロフの助力で勢力を保ったことから,
オーロフに戴冠したのであった。

オーロフ以降も,神聖イリオン皇帝は教会勢力を下におき,
帝国教会政策による皇帝権の拡大を図った。

ところが,皇帝権の拡大により圧迫された諸侯と教皇が結びつき,
皇帝権に対抗し始める。

やがて,聖職者を皇帝が任命するのか,教皇が任命するのかをめぐって
聖職者叙任権闘争が勃発する。

結果,皇帝は,世俗的権力は維持したものの,
聖職者叙任権は,教皇が持つことになり帝国教会政策は終焉を迎えた。

教皇との長引く対決の中で皇帝権力は衰弱し,
諸侯の台頭をも許していくようになる。

こうして,中世のヴァナディースでは,
領邦国家の分立が続くことになった。


諸国 サンセ

アレクシ(アレクシス)大帝の築いたシンケル王国は,
当のアレクシが崩じた後,三王国に分裂した。

この三王国の内の西シンケル王国が,サンセの基礎となった。

当初,サンセの王権は弱体であり,
単に諸侯の連合体の盟主といった程度のものであったが,
ジヴェ朝・レオミュール朝と政略結婚や対外戦争などを経て,
王権の強化を果たしていった。

また,ジヴェ朝の後期には,王権拡大を図る国王 レオン4世と
イリオン教皇 ペトロス8世が対立するに至る。

身分制議会である三部会を開催して支持を取り付けた
レオン4世はやがて,軍事力でペトロス8世を圧迫する。

これをきっかけとして
ペトロス8世が憂悶のうちに逝去すると,
レオン4世は,サンセ人を教皇に擁立し,
教皇庁をサンセ国内に移転するなど,
教皇権を凌ぐ王権の確立に成功した。

こうして強い王権とレイア随一の人口,
広大な農地をもつサンセは,一躍大国となる。

レオミュール朝時代,その全盛期を現出した,
レオン7世は,神聖イリオン皇帝位をも狙った。

結果,レオン7世は,神聖イリオン皇帝位を世襲する
リンドグレン家と激しく対立,
エクシャの支配権をもリンドグレン家と争う。

さらに,1461年,イリハム朝が,
リンドグレン家の本拠地 ベルテボリを包囲するなど,
イリハム朝とリンドグレン家の対立が深刻化すると,
レオン7世は,宗教の垣根を超えてまで,イリハム朝と連携した。

レオン7世は,徹底して反皇帝を貫き,
外交姿勢にもそれは如実に現れていた。

そうした姿勢は,
サンセの王家がレオミュール朝からダンドロ朝へと移っても
影響を与えることとなり,
1512年の東イリオン帝国再興の原動力となった。

一方,レオミュール朝末期から
ダンドロ朝の初期に当たる
15世紀後半のサンセは,
新教勢力と旧教勢力による内戦が長期化の様相を呈していた。

ここにおいて,サンセが外洋へと本格的に進出するには,
もう1世紀程待たねばならなかったのである。


諸国 エクシャ

エクシャ半島一帯の地域。
地中海に面している。

南の対岸はテルメ大陸,
北はヴァナディースとニイマルク,
北西はサンセと接している。

エクシャは,古代にはイリオン帝国の中心地であった。

4世紀前期には,イリオン帝国が東西に分裂,
5世紀初頭には,エクシャが属する西イリオン帝国は,
ウルリックによって滅亡する。

ウルリックは,エクシャを制した十数年後には,
東イリオンの後ろ盾を得たアダルベルト率いるバルト族によって
滅亡,エクシャにはバルト王国が建設された。

しかし,アダルベルトの死後,バルト王国は衰退,
東イリオン帝国によって滅亡を迎えた。

東イリオン帝国は,帝国発祥の地を奪還したのである。

けれども,それは一時のことでしかなく,
6世紀初頭には,フォルク族がエクシャの大半を制覇してフォルク王国を建てた。

とはいえ,そのフォルク王国も
エクシャ全土を統一することはできず,イリオンの教皇や,
東イリオン帝国と抗争を繰り返している。

8世紀前期には,シンケル王国のアレクシス大帝が,
イリオン教皇を支援してフォルク王国を滅亡させ,
エクシャの北半を王国の版図に組み込んでいる。

10世紀には,東シンケルのオーロフが,
イリオン教皇より戴冠を受け,神聖イリオン皇帝となるが,
これ以降は,歴代皇帝がエクシャ王を兼任するようになった。

しかし,レイア世界に確固たる権威と権力を確保し始めたイリオン教皇と,
神聖イリオン皇帝は,しばしば権力闘争・領土紛争を引き起こす。

エクシャ王として,エクシャに介入する皇帝と,
教皇は対立し,たびたび戦争状態に突入したのであった。

結局,エクシャでは,南部の東イリオン帝国,島嶼部のパルミラ人,
イリオンの教皇,北部の皇帝派など諸勢力が割拠する状態が,
中世を通じて続くこととなる。

こうした中,パルミラ人や東イリオン帝国から古典文化の影響を受けて,
13世紀から16世紀には,
古典文化復興を目指すルネサンスがエクシャを中心として起こる。

ルネサンスは,レイア世界の諸国に波及し,
その後のレイア世界の近代化にとって大きな役割を果たすのであった。


諸国 ニイマルク

ニイマルクは,ヴァナディースの南東にある地域である。

ニイマルクという名称は,「新しい土地」を意味する。

アレクシス大帝が,8世紀前半にこの地を新たに制圧したことから,
この名前で呼ばれるようになった。

アレクシスの帝国が分裂したのちは,東シンケルの領域となる。

924年には,フォンタンボリ家のイェオリがこの地を獲得して,
ニイマルク辺境伯領が成立した。

フォンタンボリ家は,10世紀後半に,
ヴァナディース南部のラブリェ地方の支配権と引き換えに,
公国の格を得る。

のち,フォンタンボリ家が断絶すると,ニイマルクは,
スコリエ王 ヘルベルト1世の支配下に入った。

ところが,ヘルベルト1世は,
サルトショピ二ェンの戦いで
リンドグレン家のグスタフ1世に敗北,
リンドグレン家がニイマルクの支配権を得た。

リンドグレン家はその後,
神聖イリオン帝国の皇帝位を世襲化する。

さらにリンドグレン家は16世紀に入ると,
レイア各地に所領を獲得していく。

オーロフ大公(神聖イリオン皇帝オーロフ3世)は,
クシフォワ公 シャルルの娘 カトリーヌを妃に迎えていたが,
シャルルが後継者なくして薨じたため,
クシフォワ公領であったリーフランドを継承した。

さらに,オーロフとカトリーヌの息子 アレクサンデル(アレッサンドロ2世)は,
イストラ王女 エレオノーラと結婚したが,
エレオノーラがイストラ王に即位したため,
イストラ本土とイストラの植民地である両新大陸などがそのまま,
リンドグレン家の領土に加わった。

また,スコリエ王 トマシュ2世がこちらも継嗣不在のまま崩じると,
リンドグレン家は,スコリエ王国領の支配権も獲得した。

折しも,宗教改革の勃興によって,
神聖イリオン皇帝家であるリンドグレン家は,
旧教の盟主となる。

これにより,リンドグレン家は,
新旧両派の対立を契機として勃発した,
ヴァナディース戦争へと突入していく。


諸国 ガトキア

ガトキアは,東レイア平原に存在する。

東にはマトリア,西にはヴァナディースを控え,
北は海に面し,またミルジニアと接している。

900年,ガトキア族長 タデウシュ1世が,
諸部族を統合,これがガトキアの始まりとされる。

タデウシュは,東方教会派から西方教会派に改宗,
ガトキアは,西方教会世界の仲間入りを果たした。

タデウシュの孫 ミェチスワフ1世の時代には,
中央レイアに広大な版図を築いている。

しかし,この後,
国土の分割相続や王と諸侯の対立などにより,
王国の分裂が進行していく。

さらに12世紀には,ダシュ人による侵攻を受けて,
ガトキアは壊滅的打撃を被り,
復興のため,諸侯らは,ヴァナディースからの開拓民を
大規模に呼び寄せることとなったのであった。

13世紀末,レイア全土にはペストが大流行するが,
ガトキアは,その被害を免れる。

当時の国王 ラファウ2世は,英主の誉れ高く,
ガトキアの再統一を果たし,
またジュルドウォ大学を創立して学術を振興するなど,
文武両面において,王国を繁栄させた。

その後,ガトキアは,
ラファウの子 ミェチスワフ3世の時代に,
婚姻によって隣国 ミルジニアと同君連合を形成する。

ペストの流行を免れことや,宗教的な寛容性から人口を増大させ,
また,ヴァナディース戦争への不介入で国力を温存したため,
15世紀から16世紀にガトキアは,
レイア諸国の中で最大の版図を有する最強の国家となった。


諸国 フェルヘイム

ヴァナディースの北隣,
フェル半島と周辺の島嶼部を占める王国である。

10世紀初頭,フェル人の王 ロアール1世が
フェル半島やヴィグランド南部を制圧した。

これが,フェルヘイムの始まりとされている。
10世紀の中葉には,アルネ大王が現れて,
レーヴェ島にまで勢力を拡大している。

13世紀には,
フェルヘイム王女 ハンネが主導したストルブクトの会盟によって,
フェルヘイム・ヴィグランド・ラナマルの
北レイア三国による国家連合が成立する。

国家連合の中心,フェルヘイムは一躍,レイアの大国となった。

しかし,15世紀には,
しばしばヴィグランドで独立派による武装蜂起が起こる。

1455年には,スコウスボー家のラース1世による蜂起が成功し,
フェルヘイム中心の国家連合から,
ヴィグランドが離脱したのであった。

フェルヘイムとヴィグランドの長い対立が始まる。


諸国 ヴィグランド

アルバヴィア半島の中央を占める国。

西にラナマル,東と南は母海,
南の対岸にはフェルヘイムがある。

ストルブクトの会盟によって,フェルヘイムの傘下に入ったが,
ラース1世の蜂起が成功して1455年に独立を果たし,
スコウスボー朝が開かれる。

以後,次第に母海沿岸部に版図を広げ,
アルバヴィア東部のセビランドを併合,
母海帝国と称される北方の大国に成長する。

クルト2世の代には,
新教勢力としてヴァナディース戦争にも介入し,
戦勝国となるなど,勢威を示した。

さらに16世紀後半から17世紀の中葉にかけては,
北レイアの覇権をめぐって,
フェルヘイムやガトキア,マトリアを相手に,
断続的に抗争している。


諸国 マトリア

マトリアは,東レイア平原に存在する。
北西には,アルヴァビア半島があり,
西はガトキアと接する。

9世紀前半に,ラナマン人 アリヴィアンが
マトリアに進出,オジフシェゴロトを征服した。

アリヴィアンの一族は,
マトリアで勢力を拡大,
東スヴェト人の居住地域に国家を形成する。

やがて,マトリアに進出してきた
ラナマン人はスヴェト人に同化していった。

10世紀には,アリヴィアンの曾孫に当たる,
トゥルゴヴィシュテ公フセヴォロドが,
マトリアの地を統合する。

フセヴォロドの時代には,
東イリオン帝国の影響を受け,
マトリアは東方教会世界に入っていく。

フセヴォロドにより統合されたマトリアは,分割相続により,
諸国が分立することとなった。

12世紀の中葉には,マトリアはダシュ人によって征服され,
その支配下に入る。

マトリアのベルスク公国は,ダシュ人支配の下,
徴税執行役を担当して,勢力を拡大,
14世紀にはダシュ人の支配から脱した。

ベルスク公国は版図を広げ,
さらにマトリアにおける東方教会の長 府主教の本拠も,
ベルスクにおかれることとなった。

宗教的にもベルスクがマトリアの中心となったのである。

大公国へと成長したベルスクでは,
アレクセイ2世が,皇帝を称する。

東イリオン帝国の中断を受けてのことであり,
アレクセイが,東イリオン帝室の皇女 ソフィアから生まれたからでもあった。

15世紀には,アレクセイ3世が現れて,帝権強化を図り,
また東方へのさらなる版図拡大に成功したが,
アレクセイが崩じると,諸侯の反発が活発となる。

マトリアは,動乱期に突入し,
ガトキア・ミルジニア王国の介入を受けるに至った。


アリア 概要

レアリア大陸のレイアを除く地域。六大洲の一。
人口・面積ともに世界最大の地域である。

しかし,アリアの名称・範囲については,多分にレイア側からの視点を含む。

常盤では,特にレイア諸国と接触するまでは,
華国・サラス以外の海外については,関心を持たなかった。

レイアとの接触以降は,華国以東を東洋,サラスを中洋,レイアを西洋,
さらに,レイア諸国が植民地化した東南アリアを南洋とする見方があらわれた。


アリアの諸国

16世紀中葉のアリア諸国推計人口


イリハム朝
   3500万人
ナヴィディー朝
     600万人
デジャ朝
 11000万人
信朝
 12000万人



諸国 イリハム朝

イリハム朝は,
1239年,アザデ人のイリハムが小アリアに建国した国家である。

その後,東レイア・西アリア・北テルメを征服し,
多民族世界帝国へと成長する。

14世紀,ヤシン1世,アリム1世の時代には,東レイアに勢力を拡大,
1331年,モンテカエルラの戦いでソフィア半島の諸国連合軍を撃破する。

また1334年には,東イリオン帝国の首都 テオドロポリスを攻囲,
さらにアポロニア地方を奪って,ソフィア半島での勢力を確立した。

イリハム朝の勢いに戦慄したレイア世界では,アキシア王 アルベルト
(後に神聖イリオン皇帝 アルベルト2世)率いる連合軍が結成される。

しかし1336年,イリハム朝軍は,
アルベルト率いる連合軍を,アロポリスの戦いで撃破,
さらに版図を拡大する。

順調に成長するイリハム朝であったが,
1340年,突如として危機に陥る。

センゲによる侵攻である。

センゲは,中央アリアから西アルリアにかけて,
一代で大帝国を築いた人物である。

このセンゲに小アリアで敗北したアリム1世は,捕虜になってしまい,
一時,イリハム朝は瓦解してしまった。

ところが,センゲはまもなく逝去,その勢力も東方へと去る。

アリムの子 イスマイリ1世は,イリハム朝の勢力を再興し,
中断期の失地回復に邁進しはじめる。

イリハム朝の中断により一息ついていた形の東イリオン帝国は,
ここにいたり完全に首都 テオドロポリスに逼塞した。

イスマイリ1世の孫 カーディル1世は,1393年,
ついにテオドロポリスを陥落させて東イリオン帝国を一旦,滅亡に追い込んだ。

この直後,イリハム朝は,テオドロポリスに遷都する。

15世紀,イスマイリ2世の時代には,イリハム朝は全盛期を迎える

版図も東レイア・西アリア・北テルメへと広がり
地中海世界の東半を支配する超大国へと成長した。

アキシア王国を飲み込み,1461年には,
神聖イリオン皇帝位を世襲するリンドグレン家の本拠地 ベルテボリを包囲するまでに至る。

こうして,リンドグレン家とイリハム朝が対立すると,
リンドグレン家と対立関係にあった,レオミュール朝のサンセ王 レオン7世は,
イリハム朝と連携するに至る。

イリハム朝の拡大は,レイア世界の外交にも影響を及ぼし始めたのであった。